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マイノリティとジェンダー(6月27日、担当:犬塚協太)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の12回目の授業が、6月27日(木)5限に行われました。

 今回は、「マイノリティとジェンダー」と題した授業でしたが、当初講師として予定されていた国際関係学部の藤巻光浩准教授が急病のため、犬塚センター長が、マイノリティという視点から見たジェンダーの諸問題を論じました。

 まずはじめに、マイノリティという言葉を、単に多数派によって文化的に区別された少数者の社会集団とみなす実体的な概念として捉えるのではなく、それが社会関係の中で相対的に決められる関係的な概念として捉えることが必要であり、何よりも当事者の主体的な自己規定を重要視する視座を常にわれわれが共有することの大切さが論じられました。また一見リベラルな「性的なマイノリティに対し寛容な私」という認識に潜む優越的な視線の陥穽に気づくことの重要性にも注意が喚起されました。その上で、当事者の自己規定としての性的なマイノリティの代表的なあり方が、性別現象に関わる3つの基準としての「生物学的性別」「性的指向」「性自認」の組み合わせによって、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、あるいはトランス・セクシュアル/トランス・ジェンダーなど多様な形でありうること、また厳密には個人によってこれらのあり方はすべて異なり、そこに性の本来的な多様性という特徴がよく示されていることが説明されました。また性的なマイノリティという総称的な表現も、最近では当事者によってLGBTと称されることが一般的であることなどにも触れられました。そして、ゲイ解放運動の歴史を例としてたどりながら、LGBT当事者が社会との関係をどのように捉えなおす中で、現在のような当事者の人権を主体的に獲得することへの流れが運動として形成されてきたかが明らかにされ、最後にあらためて社会の側が、従来の固定的なジェンダー観を見直し、LGBTの人権を確立するために今何を求められているかについて、私たち一人ひとりが真剣に考えることの重要性が論じられて全体が結ばれました。

 次回は、伊田広行先生をお迎えし、「性暴力とジェンダー」というテーマで講義をしていただく予定です。なお、この講義は男女共同参画推進センター講演会「学生のための恋愛基礎レッスン」として、受講生以外にも開放されて実施されます。

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受講生の声

国際関係学部・1年・女性

 マイノリティが実体的概念だと思われがちということを聞いたとき、私は実体的概念だと思っていたのでなるほど!と思いました。セクシュアルマイノリティという表現についても、私は考えたことがなかったので、今回話を聞いて知ることができてよかったです。ゲイ解放運動は少し知っていたけれど、最初の運動で同化を目指し、次は同化をやめ少数派でかたまって文化的マイノリティとして主張、次に権利を求めた、とうことまでは全く知りませんでした。アメリカの最高裁で同性婚が認められたのはニュースで知っていたので、日本でももう少しジェンダーについて考えられるといいなと思いました。

国際関係学部・1年・女性

 「私は性的マイノリティに寛大です。」という言葉自体が問題であり、「もし身近な人が性的マイノリティであるとしても昨日までと同じように接していけるか?」という問いが大変重く、心に残った。なぜなら、私はずっとそう思っていたし、問いには答えられなかったからだ。発言自体に「私は普通ですけれど。」という自分の物差しの中での普通を知らず知らずのうちにいれていた。”普通”は存在しないのかもしれないと思った。しかし、勝手に「普通だと思っている人間」が「普通でないと判断されてしまう人間」を住みづらく、生きづらくしているのは確かで、それが当たり前になっている状況がとても恐ろしいと思った。日本の遅れは著しく、それらの解決に向けて、何か少しでも変化があると良い。

国際関係学部・1年・男性

 マイノリティと共生することは不可能なのかもしれない。私はこの授業を通して、マイノリティとうまく付き合っていくことの難しさを実感した。そして、この問題にジェンダーが混ざり、「ジェンダーマイノリティ」「セクシャルマイノリティ」となった時、私たちは心の奥で、自覚しないうちに差別してしまうのだと思った。私たちはジェンダーが二分化されないことを理解している。しかし、実際は社会の中でそのような人とであったら、何の偏見も持たずに向き合っていくことは難しいだろう。だから、セクシャルマイノリティの問題は深刻なのだと思う。

国際関係学部・1年・女性

 現代の日本は、昔に比べて男女間の平等や差別撤廃について唱えられるようになったけれど、同性愛や間性など世間一般で少数派と呼ばれる人々に関しての平等や差別撤廃はできておらず、理解が遅れているということが改めてわかりました。多数派である異性愛者は自分たちと異なる少数派の人々を異質と認め、差別しようとするけれど、彼らのことを理解しようという努力もしないで頭から否定するのは間違っているし、個性を尊重する今の時代にはとても矛盾していると思いました。真っ向から相手を否定するのはとても簡単だけれど、人々の権利を守り、平等な社会を目指すならその姿勢は間違っているのでやめるべきだと思います。まずは、私たちが作ってしまった壁を取り除き、すべての人が生き生きと生活できる社会を実現するために、自分と異なる考えを持つ人々を受け入れる心を持つことが必要なのではないかと感じました。また、日本はジェンダー7に関するマイノリティーについて遅れをとっているので、アメリカなどのジェンダーマイノリティーについて理解が進んでいる国がどのような活動をしたきたかなどを参考にしてみるのもいいのではないかと感じました。

国際関係学部・1年・女性

 今回は授業の最初の方で話されていた、マイノリティというのは相対的な考え方であり、他との関係で成立するもの、つまり関係的概念で成立しているものなのであるという考えに衝撃を受けた。マイノリティ、特に性の問題のマイノリティは自分にとって非常に異質なものであったので、どうも受け入れ難い部分があった。しかし、今回の話を聞いて、マイノリティのものもただ単に分類した内の一種類であるから、「異質」のものと考えずに前向きに向き合っていこうと思った。また、「性」というとどうしても自分自身の中で「男」、「女」というように単純に二分化してしまう傾向がある。しかしやはり「性」ははっきりと二分化出来ないものであるので、二分化を当たり前と思わずに、その意識を排除していきたいと思った。全ての人に理解されるのは難しいけれど、性の問題に対して、個人個人が理解し、寛容になる必要があると思った。