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男女共同参画社会とジェンダーの視点(4月17日、担当:犬塚協太)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の2回目の授業が、4月17日(木)5限に行われました。

 今回は前回に引き続き犬塚センター長が担当し、授業全体の概論部分の出発点として、男女共同参画社会という言葉の意味をどう理解するか、そのポイントを「男女」「参画」「共同」の3つの言葉の解釈を中心に詳しく論じました。特に「共同」という言葉の意義を通して適切に理解することについて説明がなされ、これまでの性別役割分業社会の特徴やジェンダーという言葉の意味、その問題点などについても、人類学や歴史学の成果にも触れながら、具体的に解説が行われました。またジェンダーは変化し、変えられるものであり、社会が全力でその変革に取り組めば必ず男女共同参画社会は実現できるというメッセージが強調して語られました。

 さらに次回は、性別役割分業の歴史的展開や男女共同参画社会の必要性について講義が行われる予定です。

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受講生の声

国際関係学部・2年・女性

 「男は仕事、女は家庭」というフレーズを聞いて、思ったことがあります。確かにこのフレーズは「女性が育児や家事をして、家庭を守らなければならない」という風に捉えることができます。女性に着目するとこのように考えることができますが、男性に着目すると男性が家事をしている場合、このフレーズはその男性に失礼だと思いました。女性だけに焦点を当てると女性がかわいそうだと思いますが、家事や育児をしている男性は世の中にたくさんいます。男女が同じ立場に立てるような社会づくりが必要だと思います。

 わたしは飲食店でアルバイトをしていますが、先日、バイト先の調理人さんからこんなお話を伺いました。「妻は専業主婦なんだけど、部屋の掃除を全然やらなかったんだよ。だから頭にきて怒鳴り散らしたよ。俺は毎日一日中働いているのに。」とおっしゃっていました。その時は「そうなんですか。」としか返事をしなかったけれど、内心は「あー、男は仕事、女は家庭という言葉がまだ根づいているんだな」と残念に思いました。

 このような考え方にとらわれないためにも、一人一人の意識や社会を変えていくことができればいいなと思いました。

国際関係学部・1年・男性

 講義内で言われたように、「男女共同参画社会」という言葉を聞いてもたしかにすぐにはピンとこなかった。講義で、実際に聴者野方から出たという意見を聞くとやはり特に年配の方、世代の上の方たちの多くは性別分業のジェンダーの考え方が根付いているのだと思った。確かに考えてみると、自分の父や母にもそのような考え方をしていたときもあると思うときもあり、学校で学ぶことを終えた人たちは、現代社会における「gender equality」を知る機会はあまりなくそして思考様式も固定してくるので、社会全体として「男女共同参画社会」を推進・実行していくためにはまだまだ時間がとてもかかると感じた。これから学んでいくと思うが、やはり生物学的な男女の身体のつくりの違いで、妊娠・出産前後と乳児への授乳等の関係ですぐ近くに母親が必要だと思うし、そのために多くの女性はいったん離職しがちで職業的な地位が下がってしまうので、企業の方針や雇用のあり方、とりわけそのような問題でも休・離職者が安心して職に就けるよう社会全体としてもっと議論されなければいけないと思う。

国際関係学部・1年・女性

 中学校や高校の教科書には「○○年 男女雇用機会均等法」や「○○年 男女共同参画社会基本法」というような書き方がされていて、テストにもその用語や年号しか問われないのでそれだけを覚えて、理解したつもりになっていた。ましてや、その名称の意味や「男女共同参画社会」という言葉を分割して意味を考えたことなどなかった。しかし、今回の授業で、それぞれの単語の意味の正しい解釈を知ることができ、私たちは、性別にこだわらず、誰もが能動的に関わる、1人1人が主役の社会を作っていく必要があるのだと分かった。また、今までは性別によって個人個人が男女の役割にあてはめられていたが、これからは、その人に適した役割をあてはめていくことが、男女共同参画社会の実現につながるのだと学んだ。男女平等が唱えられてからかなりの時間が経過しているので男女共同参画社会の実現への道のりはまだまだ険しいのではないのかと思っていたが、ジェンダーは多様なものであるから、性規範や性役割は変えられるという一言で未来に希望を持てた。

国際関係学部・1年・女性

 「女性は子供を産むことができる、だから女性は子供を育てなければならない」。私はこの文章に違和感を感じた大多数のうちの一人だ。しかし、私の親や祖父母の世代は勿論私を含めた若者と呼ばれる世代も、産んだ本人が、つまり母親が育児をすることは当然で、むしろそうでなくてはならない、と無意識に思い込んでいるのではないかと思う。

 パプアニューギニアでの育児方法や武士の子育ての例を聞き、「面白いな」「独特だな」と思うのと同時に、そういった感想を持つのは自然にジェンダーの考え方を吸収しているからなのだろうと自覚させられた。

 私は、「イクメン」という言葉にどこか男性の育児を特別視しているような印象を持つので抵抗があるのだが、今回の講義を聞いて、ジェンダーの視点ではどのように捉えられているのかを知りたくなった。

国際関係学部・4年・男性

 「男女共同参画社会」「ジェンダー」などの言葉について知ることができ、男女共同参画社会を作るためには、ジェンダー平等が実現されなければならないということがわかった(が、ジェンダー平等の概念についてはまだ理解できていない)

 授業の中でひとつ気になったのは、生物学的な形質その他の差異は性役割を規定する材料になり得ない、という点だ。その話自体には疑う余地はないと思うが、生物学的な視点で言うならば、現在地球上で繁栄している生物の多くが雌雄の明確な役割分業をもっていて、それは当然文化的価値観によるものではない。ならば、性役割を定めようとする反応は、きわめて生物的なものでもあると言えるのではないか。ジェンダー平等が「性役割の撤廃」という意味ならば、人間が性役割を定めずとも繁栄していける生物であることの、生物学的な根拠をぜひ学びたいと思う。(もちろん、ジェンダー平等が性役割の撤廃や性規範の同質化以外の方法で実現されるものなら、その必要はないけれど......)

国際関係学部・1年・女性

 「男女」「共同」「参画」、それぞれ全ての点においてこれまでの社会には問題があることがわかりました。先生のお話を聞き、これまでに最も足りなかったものは「共同」だということがわかりました。しかし私が特に気になったのは、「参画」とは、「参加」とは違って能動的・主体的であるという点です。「男女平等」はすでに完成されているが、現実的な平等である「男女共同参画」が実現していない。それも、平等を作られるものであると思い主体的に動かないためではないかと思いました。

 また、私は性別分業は昔からの固定概念だと思っていました。しかし歴史的に見ても伝統などではなく、世界には男女の役割が全く逆な社会もあるということを初めて知りました。つまり、今のジェンダーの見方も作り出されたものであり、変えようと思えば変えることができる。今はその「変えようとすること」が大事なのだと思います。しかしまだ性別分業の考えを持ち続ける人も多くいます。社会全体が「男女共同参画」へ向かう。その出発点にまずはたどりつかねばならないのだと思います。

食品栄養科学部・1年・女性

 私は今まで男女という性別に分かれてはいても同じ人間である以上、多数のことが平等でなければならないと考えつつも、生物学的に根本からつくりが違うのであるから、細かいところで扱いや役割が異なっていて当然であると考えていた。しかし、性別分業という考え方は社会や文化がつくり出しているものだということがわかった。実質的平等を実現させるためにはジェンダー問題を見つめ直さなければならない。男性は外で仕事をして女性は内でケア労働をするという考え方がいまだ深く根付いている。女性からよく「仕事から帰ってきた男性に女は家にいるだけだから楽だな」などと言われたという憤りの声を聞く。確かに女性の内での労働も外でしたらお金になるほどの大変さなのに、そのように言われてしまったのであれば、やはり腹が立つだろう。今一度、ジェンダーという問題に真剣に向き合わなければならないことがわかった。