マイノリティとジェンダー(5月29日、担当:藤巻光浩)
全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の7回目の授業が、5月29日(木)5限に行われました。
今回は、個別領域ごとのジェンダーの問題を扱う各論部分の3回目になります。「マイノリティとジェンダー」と題して、国際関係学部准教授の藤巻光浩先生に、「マイノリティについて考えるための視座」「シスターフッド、グローバルシスターフッドという視座の可能性」「ジェンダーを超える視点」という3つの問題意識から講義を行っていただきました。
講義は、所属学部・出身県・年齢についての受講生への問いかけから始まりました。この問いかけを通じて、与えられた条件によってマジョリティとマイノリティが決定されるという「関係性概念としてのマイノリティ」についての説明がなされました。また、国籍や人種のような概念も流動的で偶有的な「関係性概念」として位置づけられるということも紹介されました。そして、アメリカにおけるフェミニズムの歴史をたどることによって、マイノリティとしての女性の誕生、「女性」という経験を通じた連帯「シスターフッド」によるフェミニズムの勃興、フェミニズムと奴隷廃止運動との関連性など、日本ではあまり馴染みのない領域について論じられました。「グローバルシスターフッド」という視座の可能性については、いわゆる「従軍慰安婦」問題が取り上げられました。国内外での慰安婦問題研究の成果や先生ご自身の慰安婦経験者への聞き取り調査の成果をふまえ、慰安婦経験者の戦地での生々しい体験だけを紹介するだけではなく、慰安婦経験者という「マイノリティ」の真の声を聞くことの難しさについての指摘がなされました。講義の最後では、国境・民族・帰属意識だけではなく「ジェンダー」をも超える視座はいかにして可能になるのか、という壮大な問いかけが受講生に投げかけられました。
次回は、「労働とジェンダー」について、NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか代表理事の居城舜子先生が講義される予定です。
受講生の声
食品栄養科学部・1年・男性
今回のマイノリティーとジェンダーというテーマの講義を聞き、私は自分の常識が固定化されてしまっていると感じました。マイノリティーは与える条件を変えることによってそれまでマジョリティーであった人々が簡単にマイノリティーになってしまうことを聞き、大変怖いものであると思いました。自分の固定化された常識を他者に押し付け傷つけてしまっていることは、ジェンダーという枠組みだけでなく社会で起きている問題に大部分が通用することです。過去に戦争に慰安婦として参加していたという女性が学生達の前で謝ってしまうような社会は本当におかしいと思います。この講義で今まで学んだようにジェンダーというものは文化や歴史が生み出してきた価値観です。自分の勝手な常識をジェンダーという今世紀最大の課題に反映させるようなことはしたくないと強く思いました。
薬学部・1年・女性
まず、「慰安婦」問題についていかなる条件の元で「グローバル・シスターフッド」が可能になるのかについて考えました。今回の授業を聴くまでの私の慰安婦問題に対するイメージは、「女性を兵士の欲を満たす道具として働かせていた。/女性たちは生活の為、仕方なくではあるが同意の上働いていた。/女性差別である。/政治に利用されている。」といった漠然としたものでした。「慰安婦」として働かされていた方々の話を聞く機会や、聞いたことのある人に話をしてもらう機会が今までなかった為、メディアの情報を鵜呑みにしてしまっていました。
今回、実際に当時どのような事が行われてきたのか、生々しい真実を聞いて大変ショックを受けました。今までどうしてこの問題について深く考えなかったのだろうと思い返してみると、女性として許せないという思いがある一方で、「政治に利用する為に少し話が婉曲されているのではないだろうか」というイメージがあったからだと思います。つまり、民族・国境の壁が「グローバル・シスターフッド」を遠ざけていたのだと思います。
米国でのフェミニズム運動家と黒人奴隷廃止運動のシスターフッドが失敗に終わったのは、フェミニズム運動家が黒人の方々の気持ちや話を聞こうとしなく、理解をしていなかった事が大きな要因の一つかと思います。私たちは歴史から目を背けず、「慰安婦」であった女性たちの話に耳を傾けることがグローバル・シスターフッドへの第一歩かと考えます。そして、この問題から目を背け続けて、一方で男女共同参画社会を目指すという矛盾が日本国内に生じているのではないかと思いました。
国際関係学部・1年・女性
私は「マイノリティ」という単語で連想するとき、真っ先に「セクシャルマイノリティ」ということばが思い浮かぶのだが、今回はそれだけでなく、多様なマイノリティがあることを実感した。特に、条件の与えられ方によって誰でもマイノリティになりうるということ、マイノリティがマイノリティとしての属性を常に持っているのではないと言うことを聞いて非常に納得した。
しかし自分をマイノリティだと認識し、それを不自由だと思いながら生きている人が存在することも事実である。今回話題に上がった慰安婦においてもあてはまる。異性愛中心主義をはじめ、社会の常識であるかのように存在する考え方が、もしかしたら今日誰かをマイノリティにさせ、声を奪っているかもしれない。そんな人たちの為に、私たちはどういった条件を用意できるのか考える必要があると思った。
食品栄養科学部・1年・女性
今回の授業で、「○○県出身」「○○学部」などの条件をつけてマジョリティ、マイノリティを調べる質問で、マイノリティの変わりやすさを実感しました。こんなにも変わりやすいものなのに、なぜ圧倒的に不利なマイノリティが生まれてしまうのでしょうか。それは、「自分がより有利な立場にありたい」という資本家的思想に基づいているのではないでしょうか。自分より不利な立場の人々をつくることで、自分の優勢を確保し、安心したいからだと思います。マジョリティの人々にマイノリティの人々の気持ちは完全に理解されることはないでしょうから、「グローバル・シスターフッド」の実現はかなり難しいものだと思います。まずは、マイノリティの人々の居場所を確保し、堂々と意見を発信できる場所を設けなければなりません。発信者の居場所を壊さないための制度も作らなければなりません。そして何より、人々が、マイノリティもマジョリティも優劣はなく、同等の立場にある同じ人間なのだという考えを持つことが必要だと思います。