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教育とジェンダー(6月19日、担当:奥山和弘)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の10回目の授業が、6月19日(木)5限に行われました。

 今回は、「教育とジェンダー」に関して、元静岡県立吉原高等学校校長で、著作や講演を通じて全国で男女共同参画社会に向けた啓発活動を続けておられる奥山和弘先生をお招きして講義をしていただき、「視点を相対化する力」と題して、ご自身の経験や豊富な資料をもとに、社会教育、学校教育、マスメディアなどさまざまな場面での実例に即しながら、具体的に教育とジェンダーに関わる課題を多角的に考察する時間を作っていただくことができました。

 はじめに、ご自分が授業を行われた千葉県の中学生に対するアンケート結果から、中学生の中に存在する男らしさ、女らしさ、あるいは理想の男性像、女性像のイメージとしての「枠組み」=ジェンダーとはどのようなものかが具体的に示され、また同様に成人への講演時のアンケート結果から、「男らしくあれ」という期待が「がんばれ」という激励のメッセージ、「女らしくあれ」という期待が「でしゃばるな」という抑制のメッセージを作り出し、抑制を求められた女性の方が男性に比べより「らしさ」の拘束力に敏感に反応してきた歴史的背景が語られました。続いて社会教育の現場での経験を踏まえて、一般の人々にいかに効果的に男女共同参画社会やジェンダーを理解してもらうかという課題に取り組んでこられたこれまでの成果が語られ、男女共同参画社会が「真の意味での(つまり、性別を問わず)「適材適所」が果たされている社会」であるという理解が重要であること、またそれは男性(女性)に「しか」できない、とする見方から、男性(女性)「でも」できる、とする社会への意識改革であるとする見解が説明されました。さらに学校教育の現場で実際に存在してきた「隠れたカリキュラム」についても豊富な事例によってその問題点がわかりやすく分析され、学校教育に求められるものとして、①教員自身の考え方や言動が無意識に「枠組み」にとらわれていないかを顧みること、②学校の組織、制度、慣習が「隠れたカリキュラム」になっていないか吟味すること、③自身の表現が結果的に持つメッセージに自覚的な発信者となるよう子どもを育てること、の大切さが説かれ、「視点を相対化する力」を育むことが重要であることが示されました。

 その他にも、公的な場面での情報の発信者に求められる自覚について、既存のポスターの批判的検討など数多くの事例を通してその取組の内容が紹介され、またご自身で作られた、昔話を男女共同参画の視点から書き直すことでジェンダーの枠組みの問題点に気づかせてくれる作品の内容にも触れられたり、「男泣き」という表現の歴史や比較文化的考察を通じて日本のジェンダーの特徴に触れられるなど、大変多くの資料を駆使した、わかりやすく、説得力に富む講義を展開していただくことができました。

 次回は、犬塚男女共同参画推進センター長より「恋愛・結婚・家族とジェンダー」の講義が行われる予定です。

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受講生の声

薬学部・1年・女性

 「男らしさ」「女らしさ」というイメージは、大人の間に植え付けられているイメージが、教育の場や広告などを通じて子供たちにも受け継がれてきているのだと感じました。寧ろ大人の間に植え付けられているイメージというよりは、脈々と特別に意識することなく教育の場などで行われてきた習慣(例えば書記は女子に任せる等ということ)によるもの、という方が正しいのかもしれません。そのような習慣が実はジェンダーの考えに基づいているものだという事は、今まで気づいた事がありませんでした。

 そして、今回の授業を受けて改めて見返してみると、日常生活のあらゆる所でジェンダーの考えに基づいた男女の仕事の割り振りが行われていて、その事があまりに自然だったために気づいてすらいなかった事を認識しはっとさせられました。

 「真の意味での適材適所が果たされている社会」を実現させるためには、そのような小さな日常における意識の一つ一つに気づいて着目し、変えていくという地道で骨の折れる活動を、より多くの人が実行に移す事がすごく大切なのだと感じました。

国際関係学部・1年・女性

 今回の授業は、「女らしさ」「男らしさ」という言葉がたくさん登場した。私は小さいころから母親から、「女の子なんだから」という決まり文句で家事の手伝いを頼まれていた。女という理由だけでなぜそこまでやらなければならないのかと疑問に思ったことがある。今回の授業で、それはきっと母親も「女らしくあれ」という教育を受けてきたからだろうと分かった。高校の時まで使っていた教科書や幼いころ読んだ童話にも「女らしくあれ」「男らしくあれ」「女らしさとは…」「男らしさとは…」という「隠れたカリキュラム」が潜んでいたことは、この授業を受けなければ気づけなかっただろう。今回の授業で意外と身近にあったジェンダーの問題点に気づけてよかった。

経営情報学部・1年・女性

 今回の講義では隠れたカリキュラムの話題が印象的でした。私は小学生の頃、自分のピンクのランドセルがとても嫌だったことを思い出しました。その頃はほとんど、男子は黒系、女子は赤系の色のランドセルで、黒と赤以外の色のバリエーションも多くありませんでした。私がランドセルを選ぶときに「黒っぽい色がいい」と言ったら、母に「やめなさい、女の子なんだから」というような言葉を返されたことを覚えています。確かに女子一人だけ黒のランドセルを持っていたら、当時は恥ずかしい思いをしたかもしれません。しかし、現在はとてもさまざまな色のランドセルがあって、女子も紺色や茶色と言ったものを持っているのをよく見かけます。

 以前は防災頭巾やネームプレートなど様々なものが色分けされていました。それは元々、男女の区別をわかりやすくするためだったのかもしれませんが、子供時代の「色分け」が「男子はクールに、女子はかわいらしく」などといったイメージに大きく影響していたのではないかと感じます。ランドセルの色が増えたのも「今の子供はおしゃれだね」と単に思っている人が非常に多いと思うし、私も以前はそう思っていましたが、今は隠れたカリキュラムを撤廃するためのひとつの方法ではないかと考えます。教育現場での改革はもっと世間にアピールされるべきで、その意義もしっかり説明されるべきだと思います。色分けの問題だけでなく、学校内で変化している制度や文化についてさらに詳しく知りたいと思いました。そして、大人たちが、自分は性別の枠組みには待っていたのかもしれないと気づける機会が増えていくことが必要だと感じました。

食品栄養科学部・1年・女性

 ジェンダーというと、女性に対する差別というイメージがありました。男性に対する差別もあるのに、なぜ女性ばかり不利だと思ってしまうのか不思議でしたが、今回、奥山先生の話を聞いてその理由が分かりました。「男らしさ」「女らしさ」に対するアンケートの結果から、「男らしくあれ」というのは激励の「頑張れ」というニュアンスのものが多いのに対し、「女らしくあれ」というのは抑制の「でしゃばるな」というニュアンスのものが多いことが分かりました。このため女性は拘束されることに敏感になり、よりジェンダーを感じてしまうということでした。一人一人個性があるのに、女性に「女らしさ」を、男性に「男らしさ」を求めてしまうという枠組みを取り払う意識改革が必要だと思いました。そうすることで、性別役割分業の考えを捨て、女性の職業が補助的役割ばかりになることを防ぎ、「真の意味での適材適所」が実現できるのではないかと思いました。

国際関係学部・2年・女性

 今回の講義はわたしたちと身近なものだと思いました。“男らしさ”“女らしさ”というのは、実際には存在しないのではないかと感じました。「育児をするのが男性で何がおかしい」「ピンク好きの男性の何が悪い」「ピンクが似合う男性はたくさんいるのだ」と“男だから〜”というのは間違っていて、これは人それぞれの好みではないかと思いました。しかし、わたし自身、この講義を受けて振り返ることができました。それは理想の男性を言う時です。「自分よりも背の高い男性がいい」とよく友だちと話しています。これも一つの“男らしさ”に囚われていると思いました。このような話題は若い女性たちによくある話です。つまり、若い女性たちも“理想の男らしさ”というものを感じているのではないかと思います。このようなイメージを取り除くことは時間と労力が大変かかります。小さい頃からの教育というツールで、このイメージが改善されればなと思いまいした。