自然科学とジェンダー(5月21日、担当:山田久美子)
全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の5回目の授業が、5月21日(木)5限に行われました。
今回は、個別領域ごとのジェンダーの問題を扱う各論部分の1つとして、「自然科学とジェンダー」と題して、生物学者で浜松医科大学非常勤講師の山田久美子先生に、自然科学と技術の発展と、そこにおけるジェンダーの歴史的展開について、欧米や日本の事例を中心に論じていただきました。
まず、ヨーロッパにおけるジェンダーと学問の関係について、古代ギリシアでは妻は隔離されて外出できず、女性が学問を学ぶために娼婦となって男性の下でようやくそれが実行できた事実や、5~13世紀の中世には学問を志す貴族の女性には修道女になることが唯一の方法だったこと、職人の娘にも科学教育の可能性があったこと、などが示されました。しかし、14世紀以降、むしろ科学教育の場から女性が排除されてきた歴史が続くことが批判的に説明され、それに対して近代以前の日本社会には技術教育の伝統領域には女性が活躍する余地があったこと、特に近代以降でも、それまでの産婆の伝統に即して、近代医学とともに助産学がドイツ式に行われ、明治初頭から産婆資格の認定などを通して、女性の科学との関わりの流れがそれなりに存在したことが示されました。それに対して、アメリカでは、ヨーロッパの魔女狩りによる民間医療家の排除の動きが近代以降にむしろ強化され、医学教育や医師、助産師といった職業から女性が近年まで差別・排除されてきた事実が明らかにされました。その他ヨーロッパの魔女狩りによって伝統的な染色技術が失われてきた経緯などが触れられた後、結局近代以降の歴史の中で、日本においても科学など知的領域や権威と権力に直結した政治・経済の領域から女性が排除されてきている現状があらためて確認され、男女共同参画社会に求められる自然科学とジェンダーのあり方が示唆されました。いずれのテーマに関しても、多くの興味深い事例を取り上げながら大変具体的でわかりやすい講義が行われました。
次回は、さらにこうしたジェンダーの視点から、歴史全般の捉え方に存在してきたジェンダー・バイアスと、それに代わる新たな歴史的視点に立った女性史の展開について、平井和子先生による「歴史とジェンダー」の講義が行われる予定です。
受講生の声
国際関係学部・1年・女性
今日の授業を受けて驚いたのは、アメリカでは医学において女性の権利が認められたのがつい最近のことだということです。私のイメージではアメリカでは女医さんもバリバリ働くというものだったので、1996年のアメリカの女医比率7%という値は予想外でした。日本は比較的早く学校を作り公的な制度として取り入れており、専門職に女性が入ることへの抵抗感がすくなかったのではないかと思いました。とはいっても、最後にお話されていたように権威と権力のある職業においてはまだまだ男性の方が多くの割合を占めているので、そこが日本のこれからの課題ではないかと思いました。
食品栄養科学部・1年・女性
『女性である』というだけで、大学に入ることが不可能であったり、研究者を目指せなかったりしたという古代や中世における事実は、今では考えられないものだ。しかし現在における学業の場を改めて見てみると「女子大学」というものが存在している。これはジェンダーにおける問題として取り扱われないのであろうか。学業や仕事における男性の優位はよく世間で耳にするが、男性の立ち入ることのできない学習の場があるということも、紛れもない事実であり、問題である。自分の性別によらず、「どちらの性別においても平等な権利が与えられている」と自信をもって発言することのできる社会を目指していきたい。
薬学部・1年・女性
女性が外出できなかった古代ギリシアの時代に、自ら奴隷の身となってまで学問をしようとした女性たちの執念がすごいと思いました。キュリー夫人が、2度もノーベル賞を受賞しているにも関わらず、女性だからという理由だけでアカデミーに入れてもらえなかったという事実を知り、ジェンダーという概念のせいで、これまで数多くの有能な女性たちが学問する機会を失ってきたのだと思うと、すごく残念だし、改めて男女差別の問題を一刻も早く解決すべきだと思いました。これから様々な職種に女性が進出し、女性の活躍の場がもっと増えてほしいと思います。
国際関係学科・3年・男性
今回の講義を受けて最も意外で印象的だった点は、性別役割分業が深く根付いてしまっている日本にも、女性が男性に混ざって活躍できる環境がしっかり存在しているということである。日本では古くから技術を要する職業に女性が就くことへの抵抗が少なかったことを知り、これを原動力として女性が自信を持って社会進出を進められれば、それは良いことなのではないだろうか。