Top / 事業紹介 / 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」 / 2016年度「男女共同参画社会とジェンダー」歴史とジェンダー

歴史とジェンダー(5月26日、担当:平井和子)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の6回目の授業が、5月26日(木)5限に行われました。

 今回は、個別領域ごとのジェンダーの問題を扱う各論部分の2回目になります。「歴史とジェンダー」をテーマに、一橋大学非常勤講師で女性史研究家の平井和子先生に、「日本史をジェンダーの視点で眺めてみれば---」というタイトルで、古代から近代、現代に至る日本の歴史をジェンダーの視点、とくに女性史の流れに即しながら再検討していく、という講義を行っていただきました。

 フラッシュカードや豊富な史料、パワーポイントの画像などを駆使しながら、原始・古代には高かった日本の女性の地位が、中国の家父長制の影響を受けた古代国家の成立や中世の武家政権の成立、さらには近代国家の確立とともに次第に低下してきた過程が、数多くの事例を通してわかりやすく論じられました。またその中で、古代には共通していた男女の美の基準や、ヨーロッパ人の目から見た近世庶民女性の高い社会経済的地位を持って自由に活躍する様子や、子育てを重要な役割と考えた下級武士の生活、男女混浴の慣習に見るような欧米の影響を受ける以前の日本の大らかなセクシュアリティの実態などがわかりやすく示されました。そして、庶民層におけるジェンダー多様な実態が、近代になって大きく変化し、男性については徴兵制によって暴力技能の優劣を男らしさの基準とするジェンダーが形成される一方で、良妻賢母教育と主婦の登場によって女性の地位が最も低下した時代を迎えた事実が、明治民法の家制度における女性の低い地位の具体的な問題点などを例に詳しく論じられました。さらに、夫婦の姓をめぐる近現代のさまざまな言説の展開が丁寧にたどられて、選択的夫婦別姓をめぐる動向と日本の別姓の伝統への理解の乏しさ、そして昨年から今年にかけての最高裁の夫婦同姓合憲判決から、それを批判する国連女性差別撤廃条約委員会の指摘など、直近の動向に至るまでの多彩なテーマが取り上げられ、特に、国際的に顕著に低い日本の若者の殺人者率から見て、男性が徴兵され兵士となることに男らしさの基準が存在した戦前と異なる、戦後70年にわたる平和な時代の意義が示され、歴史におけるジェンダーの視点の重要性を深く認識できる講義となりました。

 次回は、「結婚・家族とジェンダー」について人口問題の視点から、本学学長で歴史人口学の第一人者である鬼頭宏先生が講義される予定です。

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受講生の声

国際関係学部・1年・女性

 私の中で「昔の女性たちの立場」と言えば、明治や世界大戦そして戦後に見られたように「男性の影になる」というような不自由なイメージを持っていたので、古代の女性が戦に参加していたり、江戸時代に男女が共に働き子育てをしていたという事実に驚いた。また、男女の美が共通だった時代があったり、混浴が当たり前のように存在していた時代があったりというように、かつての日本のセクシャリティーの大らかさを目の当たりにした。戦後から現在にかけて、男女の縛りは徐々に弱まってきているように思っていたが、歴史を見てみると今日の比ではない程に、男女を平等に考えようとする日本人の国民性が存在していたことを知ることができた。

食品栄養科学部・1年・男性

 歴史は高校1年の時以来であったが、分かりやすく、楽しく講義を受けることができた。また、結婚の形の移り変わりも時代ごとに全く異なっていて興味深く感じた。

 近世においての日本は非常に自由度が高かったように思えるが、近代になり西洋の価値観や文化が取り入れられることでジェンダーが変化し、窮屈な世の中になったと感じられた。古代から近代にかけてだんだんとジェンダーが悪い方向に変化してしまったように思える。

 これからどのように日本や世界のジェンダーが変化していくのか、それが必ずしもいい方向に進むとは限らないが、非常に楽しみである。

国際関係学部・2年・女性

 元来、日本は男女の関係が対等で女性の地位も高かったが、海外の考えを取り入れていく過程の中で徐々にその地位が低下していったことを知り、驚愕した。日本の何でも吸収しようとする柔軟な姿勢は素晴らしいと思うが、その一方で、何でもかんでも取り入れ、元々あったもの(あるいは考え)を替えようとするのはあまりよろしくないように感じられた。授業を通じて、ジェンダーという新たな視点で見ることによって、これまで習った日本史がまた違って見えるようになることが分かり、とても興味深く思えた。また、改めて日本史を学びたくなった。

国際関係学部・2年・女性

 私は高校で日本史を取っていたのですが、言われてみれば確かに女性の登場は少なかったなあ、と思います。清少納言のように素晴らしい作品を残したのにも関わらず、名前が残らないというのは非常に残念なことです。現代は名前が残らないということはなくても結婚によって姓が変わってしまい、論文を出すと時に今までと違う名前で出すことになってしまう、というのは、清少納言の時と問題はさほど変わらないと思います。でも、夫婦が別姓になった時、子供の姓はどうするのが適切か、判断しかねるので、男女がお互いに納得できる道をじっくりと考えていきたいです。