教育とジェンダー(6月9日、担当:奥山和弘)
全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の8回目の授業が、6月8日(木)5限に行われました。
今回は、「教育とジェンダー」に関して「子どもの学び、オトナの啓発」をテーマに、元静岡県立吉原高等学校校長で、著作や講演を通じて全国で男女共同参画社会に向けた啓発活動を続けておられる奥山和弘先生をお招きして講義をしていただき、ご自身の経験や、学校教育、社会教育、メディア報道、など豊富な資料に基づくさまざまな場面での実例に即しながら、具体的に教育とジェンダーに関わる課題を多角的に考察する時間を作っていただくことができました。
はじめに、「OL進化論」という漫画の事例を基に、ジェンダーに関する「思い込み」への気づきの大切さに触れられた後、ご自分が授業を行われた千葉県の中学生に対するアンケート結果から、中学生の中に存在する男らしさ、女らしさ、あるいは理想の男性像、女性像のイメージとしての「枠組み」=ジェンダーとはどのようなものかが具体的に示され、また同様に藤枝市の成人への講演時のアンケート結果から、「男らしくあれ」という期待が「がんばれ」という激励のメッセージ、「女らしくあれ」という期待が「でしゃばるな」という抑制のメッセージを作り出し、抑制を求められた女性の方が男性に比べより「らしさ」の拘束力に敏感に反応してきた歴史的背景が語られました。続いて社会教育の現場での経験を踏まえて、一般の人々にいかに効果的に男女共同参画社会やジェンダーを理解してもらうかという課題に取り組んでこられたこれまでの成果が語られ、ジェンダーが「生物学的な違いが拡大解釈されたイメージ」や「平均値や傾向が一般化されたイメージ」の問題であることを伝えることの大切さが述べられました。またジェンダーという言葉が生み出されたことによってそれまで問題とされなかった問題が明らかになっていったことの意義について、セクハラ、DVなどと同様に「言葉が与えられると存在が見えてくる」ことの重要性が強調されました。そして、社会教育での実践を通して根強い「性別特性論」の問題に触れられた後、学校教育でのジェンダーを問題にする目的は、①子どもの職業や生き方の選択の幅を不当に狭くさせないため、そして②子どもの「自己肯定観」を育むためであることが明確に示されました。さらに学校教育の現場で実際に存在してきた「隠れたカリキュラム」について、また社会の慣行としてさまざまな場面に認められるジェンダーについての豊富な事例によってその問題点がわかりやすく分析され、最後にあらためて「子どもの学び、オトナの啓発」の重要性が結びとして強調されました。
大変多くの資料、事例を駆使した、わかりやすく、説得力に富む講義を通して、教育とジェンダーに関わる問題の根深さや多様さを浮き彫りにしていただくことができました。
次回は、元常葉大学教授の居城舜子先生より「労働とジェンダー」の講義が行われる予定です。
受講生の声
食品栄養科学部・1年・男性
様々な情報から勝手に自分の中で男性であるか女性であるかというイメージをしてしまうことはよくあると感じた。また、性別として男性に向いている、女性に向いていると考えるのが適材適所ではなく、個人の向き、不向きをふまえたものが適材適所なのだと分かった。
男らしさ、女らしさというイメージは社会に非常に強く根付いていると思う。それをいかにして取り払い、個人一人ひとりが自分に適した選択をしていけるかが大事だと感じた。世の中に蔓延するイメージに惑わされず、自分の考えはもちろん、他人の意見も尊重し、全員が平等に選択することの出来る社会になってほしい。
経営情報学部・1年・女性
今日の講義を聴いて、性別の違いだけで勝手なイメージから、男女の固定概念がいくつも生まれてしまって、男だからこうであるべき、女だからこうであるべき、という決めつけは人を苦しませたり、死に追いやったり、考え方や活動の範囲を狭めているんだと思った。教育の面でも、昔から男女での違いがいくつもあって、教科書や給食や日常生活においても、男が女より優位な立場にあって、知らず知らずの間に、小学校の頃から男女のイメージや概念が勝手に植えつけられていたなんて、怖いと思った。とはいいつつも、今でも男だから、女だから、というイメージは抜けきれていないと思うし、少しずつでもいいから男女の違いがなくなって、性別関係なく個人個人の思いで、自由に活動しやすい社会に変わっていくといいなと思った。
食品栄養科学部・1年・男性
中学生でさえ、男性・女性へのイメージがあるのだから、それは環境つまり周囲の大人・親・先生からイメージを学び取っているのだなと思った。ジェンダーという言葉も高校生の時に初めて学んだので認識することができた。ジェンダーという言葉とともにジェンダーの考え方広まればいいなと思った。男女別名簿を廃止させた教育長の一言は教育者たちの意識を変えたし、日本のジェンダー観を認識させる契機になりえたと思う。自分の卒業した高校は女性が極端に少なく、女性が優遇されていたが、そういうところにもジェンダーが存在したのだなと思った。
経営情報学部・1年・女性
男性の方が向いている人が多い・女性の方が向いている人が多いということはあるかもしれないけど、男性にしかできないこと・女性にしかできないことというのは思いつかず、やはり性別の違いだけで仕事や役割を分けるのはおかしいと改めて思いました。私たちもそうですが、今の大人が男女に対してそれぞれのイメージを持っているのは、幼いころの学校生活の中で男女の活動が分けられていたことも原因だということは今まで気づきませんでしたが、確かに男女で制服の色や形が違う幼稚園があったりして、そこから男女は分けられていたのかもしれません。しかし、私たちが小学生のころは、女子は赤・男子は黒のランドセルが当たり前でしたが、現在はみんな好きな色のランドセルを背負っていて、男女間の考え方が変わってきているようです。
国際関係学部・2年・女性
私は小学生の時ハンガリーの現地校に通っていたのですが、その時は水泳の授業なども男女別ではなかったし、男子のくせに、という人もいなかったし、パッと見では男の子に見える女の子も周りから何も言われることなく馴染んでいました。男女をすごく気にするようになったのは大きくなったからなのか、日本に帰って来たからなのかは分かりませんが、日本以外の国の教育の場でのジェンダー問題も調べてみたいと思いました。
食品栄養科学部・1年・女性
学校教育の中で、無意識のうちに様々な場面で「男」「女」のイメージを学んでしまっているという事がよくわかりました。私も小学校のころに友達が先生に「女の子なのに机の上が汚いなんて恥ずかしいよ。ちゃんと整頓しなさい。」言われているところを見たことがあります。当時の私は何の疑問も持ちませんでしたが、今考えてみれば、先生のそういった言葉で私たちは無意識のうちに、女の子は綺麗好きで、しっかり者で、、、というイメージを学んでしまっていたんだと思いました。しかし、先生もまた、ジェンダーなんて深く考えずに普通に発した言葉だったと思います。まずは、先生たちのような大人が、ジェンダーについてしっかり理解することが大切だなと思いました。
経営情報学部・1年・女性
コンピュータ、エリート、将来有望、バリバリなどという言葉から男性というイメージが自分自身にもありました。女性であっても、コンピュータやエリートという言葉は使われるものだからそのようなイメージはよくないと考えさせられました。他にもある言葉ら、男性、女性のどちらかをイメージしてしまう言葉がたくさんあることを知りました。たかが名簿でも、その集団における位置づけが示されてしまっているから気を付けなければならないのだと考えさせられました。学校給食のパンについての事例では、パンの厚さが男女で違うという単純なことから、無意識のうちに「イメージ」がついてしまい、それを直すにも数年もの時間がかかってしまうのだと分かりました。自分は高校の時、女性の校長先生だったのですが、それがとてもめずらしいことであると今回の授業を受けて実感しました。