Top / 事業紹介 / 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」 / 2017年度「男女共同参画社会とジェンダー」マスメディアとジェンダー

マスメディアとジェンダー(6月22日、担当:川村美智、石井祐子)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の10回目の授業が、6月22日(木)5限に行われました。

 今回は、「マスメディアとジェンダー」と題して、静岡市女性会館館長で、元静岡新聞社編集局文化生活部専任部長の川村美智先生と、静岡新聞社経済部記者の石井祐子先生をお招きして、新聞とテレビをはじめとするマスメディアからメソーシャルメディアを含むディア全般に関して、ジェンダーの視点からさまざまな問題を論じていただくことができました。

 まずはじめに、静岡新聞の事業内容の紹介DVDが上映され、新聞、テレビ、ラジオといったマスメディアの世界とはどういうものか、またそこでは、どのように記事が作られているのか、といった点について具体的に概観することができました。続いて、メディアが伝える情報は構成されたものであり、送り手の価値観や偏見が反映し受け手に刷りこまれやすいことなどが注意されました。そして、1960年代以降のマスメディア研究の流れの中で、主にアメリカを中心にウーマン・リブ運動が提起したマスメディア批判の中からジェンダーの視点によるマスメディアの新たな批判的研究が生み出された経緯、1980年代からのイギリスを中心とするカルチュラル・スタディーズによって、送り手の情報発信のあり方や受け手の属性による情報の受容における差異などについての研究が発展した経緯にも言及がなされ、1995年の北京女性会議の行動綱領の中にメディア問題に対する戦略目標が立てられて以来メディア・リテラシー重視の姿勢が形成されてきた流れについて論じられました。また、メディアの現状については、送り手に女性が少なく、その背景になっている時間の不規則な就労環境や長時間労働の実態が説明された後、あらためてソーシャルメディアの浸透により情報の受け手だけでなく発信者となった現代の人々にとって受け手への配慮や人権意識が不可欠で雨ことが強調されました。

 続いて石井先生からは、これまでの記者としての職業キャリアについての自己紹介を通して、特に出産を契機にそれまでさほど感じなかった女性がメディアで働く上での大きな男性との格差に気づいた経緯や、石井先生が現在担当されている静岡新聞金曜夕刊の新プロジェクト「こち女(こちら女性編集室)」の担当と取材活動を通して知った静岡県での女性労働の実情、特に多くの県内企業における女性活躍のための取組のさまざまな現状とダイバーシティの実現に向けた課題が語られました。

 最後に、最近非常に話題となっている「ワンオペ育児」と評されるCMの映像が流され、このCMをめぐり、女性の孤独な育児を強調、賛否するような姿勢を批判する意見によって炎上が起きたこと、一方でこのCMを作成した企業は賛否どちらの意見も公表しながら、そこに多様な議論の場を作り出していることの意義が川村先生から語られ、大学生がネット限らずに新聞をはじめとするさまざまなメディアからもっと多様な情報やニュースを得て、異なる立場の報道や意見に触れる中から自分の意見をしっかり構築していくことの大切さが強調されて授業が閉じられました。

 マスメディア、そして労働の現場そのものからの数多くの情報や事例に基づいて、より具体的・実践的にテーマについて学生が思考を深められるわかりやすい授業を行っていただくことができました。

 次回は、NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか代表理事の松下光恵先生により「市民活動とジェンダー」の講義が行われる予定です。

DSCN7486.JPGDSCN7528.JPG

受講生の声

国際関係学部・2年・女性

 私は現在、自宅で静岡新聞を購読しているので、実際に記者の方々のお話が聞けて嬉しかった。授業の最後に鑑賞したMoonyのCMは単純にお母さんは大変だと感じた。私も将来、こうなるかもしれないと思うと少し血の気が引いた。しかし、川村さんがおっしゃっていたように、CMの中に父親が登場しないことに対する疑問はなぜか生まれなかった。私の中で、母親=大変という方程式が無意識の内に完成していることを再確認させられた。10年後、20年後という長いスパンを見越して自分が本当にやりたい仕事を見つけていきたい。

経営情報学部・1年・男性

 メディアやテレビにおいて見かける「女○○」は、昔と今では少し異なる意味合いを含んでいるように思われる。近年のそれらはアイキャッチャーとして用いられる一方、同じ女性たちへ向けて、共に社会進出をするアピールとしての側面を持ち併せているのではないだろうか。それがやがて、アピールの必要のないものとなればさらによいのであろうが。授業の最後に見たビデオについて、子育てを支える製品のコマーシャルの劇中で女性のみを立てることにより、女性への依存としてのみならず、子育てに対する男性の排除にも感じられ不愉快であった。