教育とジェンダー(5月24日、担当:奥山和弘)
全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の6回目の授業が、5月24日(木)5限に行われました。
今回は、「教育とジェンダー」に関して「体験事例を中心に」を副題に、元静岡県立吉原高等学校校長で、著作や講演を通じて全国で男女共同参画社会に向けた啓発活動を続けておられる奥山和弘先生をお招きして講義をしていただき、ご自身の経験や、学校教育、社会教育、メディア報道、など豊富な資料に基づくさまざまな場面での数多くの実例に即しながら、具体的に教育とジェンダーに関わる課題を多角的に考察する時間を作っていただくことができました。
はじめに、社会のさまざまな分野の中できわめて平等観が高い教育分野について、はたしてそれが実態だろうかという問いかけがなされた後、社会に蔓延している「性別特性論」の誤りが明快に指摘されました。そして、平均値やイメージから来る「男性(女性)にしかできない」という思い込みを「女性(男性)でもできる」に変えていく「「しか」から「でも」への意識改革」の重要性が論じられ、学校教育でジェンダーを問題とする理由として①こどもの職業(生き方)選択の幅を不当に狭くさせないため、と②子どもの「自己肯定観」を育むため、という2点が示されました。
さらに学校教育の現場で実際に存在してきた「隠れたカリキュラム」について、たとえば富山市での男女生徒でパンの厚さが違っていた給食制度、男女別名簿、国語教科書に掲載される女性の作品の少なさ、教員の男女性比の偏り、パンフレット、チラシ、掲示ポスターにおけるアイキャッチャーとしての女性の扱い方の特徴など、豊富な事例によってその問題点がわかりやすく分析され、学校における慣行・制度が実際には隠れたカリキュラムとして「適材適所」を阻害している実態が明らかにされました。そして最後に1990年代から2000年代にかけて、教育の世界に深刻な問題を生みだした「ジェンダー・フリー・バッシング」の経緯が当時のマスコミ報道などの事例をもとに詳細に語られ、ご自身が受けたバッシングを例に、それがいかに不正確な情報と性別特性論的な偏った価値観から不当になされたものであったかがはっきりと示されました。そうした反動的な動きにも関わらず、教育現場においては、今日少しずつ着実に男女共同参画への変化が進んできている実態にも最後に触れられて、今後の教育とジェンダーのあり方がどうあるべきかを私たち一人一人が考え続けていくことの大切さが伝わる授業の結びとなりました。
大変多くの資料、事例を駆使した、わかりやすく、説得力に富む講義を通して、教育とジェンダーに関わる問題の根深さや多様さを浮き彫りにしていただくことができました。
次回は、元常葉大学教授の居城舜子先生より「労働とジェンダー」の講義が行われる予定です。
受講生の声
薬学部・1年・女性
女しか、男しかできないことは?と聞かれて答えに詰まった。特殊な職(伝統芸能等)を除けば、性は関係ないと改めて思った。最近では機械化もすすみ、より一層、性別で様々なことを分けることは無意味になっている。また、「ジェンダーフリー」の誤解が(意図的に?)広まったのは憤りを覚える。私はとても良い考え方だと思ったからだ。「ジェンダーフリー」反対派の人の中には、未だに、男性が女性より優位であるべきと考える人がいるのかもしれない。
男女で身体的な差があるというのも、もちろん骨格や力など違うところもあるが、あくまで「平均」での話であることに気付かされた。全く違う部分ももちろんあるが、結局は1人1人の違いであり、男性らしさ女性らしさというわけではないと感じた。自分の親がまさに高校の男女別定員の時代であり、名簿も男女別であったらしい。以前からそれは不公平だと思っていた。まるで女性は高等教育を受けなくてよいと言われているようなものである。
しかし、以前と比べて進歩していると感じるところもある。それは職業名である。看護婦から看護師、保母から保育士など、女性が多かった職業(だが仕事上男女に能力の差はないもの)についていた、「〜婦」が「〜師」、「〜士」に変わっていったことで、それ以降のこどもにとって、その職に対するイメージが少しは変わったと思う。
国際関係学部・3年・女性
授業の中で衝撃を受けたことが3つありました。1つ目は、富山市のある中学校における、給食のパンの話です。エネルギー代謝の違いを理由に男女でパンの厚さが異なることも初めて聞いた話だったので驚きましたが、そのことをその学校に通う生徒は「それが普通だと思っていた」と言っていたことを聞き、「文化」の持つ怖さを知りました。2つ目に自分が幼い頃に読んでいた絵本、見ていたアニメなどの主人公を思い返してみると、そのほとんどが男の子だったことです。今まではそのことについて変だと思ってこなかったので、「言われてみれば。」と、ハッとしました。授業の中で扱ったポスターに関しても、はじめはおかしな点がないように見えました。自分もジェンダーを無意識に吸収してきたことを考えさせられました。最後に「ジェンダー・フリー」に対抗する勢力がいることに愕然としました。せっかく世の中を良くしようと立ち上がっても、裏にいる大きな権力を持った一部の人間がそれを邪魔したり、押しつぶそうとする。これは今の政治とも重なるところがあるなと思いました。
経営情報学部・1年・女性
私自身、小学校、中学校、高校、大学と学校の中でほとんどの時間を過ごしてきて、一部を除いて男女不平等を感じたことはない。私が自分自身の問題として直面したのはアルバイトを始めた時だ。私のアルバイトは飲食店でホールとキッチンを選べるが、従業員の人に「若い女の子にはホールに行ってもらいたい。」と言われた。この発言は今回の中にもあった女性をアイキャッチャーとして起用している一例だと思う。
今回の話の中で強く感じたのは日本はまだまだ無意識のうちに男女で分けていて、さらにそれを子どもたちに押し付けているということだ。ジェンダーの考え方は私たちの中にあるからジェンダーの問題ともそうだが、私たちの無意識化の価値観とも戦うべきだと思う。