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マスメディアとジェンダー(6月21日、担当:川村美智、石井祐子)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の10回目の授業が、6月21日(木)5限に行われました。

 今回は、「マスメディアとジェンダー」と題して、NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか副代表理事で元静岡新聞社編集局文化生活部専任部長の川村美智先生と、静岡新聞社経済部記者の石井祐子先生をお招きして、新聞とテレビをはじめとするマスメディアからメソーシャルメディアを含むディア全般に関して、ジェンダーの視点からさまざまな問題を論じていただくことができました。

 はじめに、静岡新聞の事業内容の紹介DVDが上映され、新聞、テレビ、ラジオといったマスメディアの世界とはどういうものか、またそこでは、どのように記事が作られているのか、といった点について具体的に概観することができました。続いて、メディアが伝える情報は構成されたものであり、送り手の価値観や偏見が反映し受け手に刷りこまれやすく、アンコンシャス・バイアスも生じやすいことなどが注意されました。そして、1960年代以降のマスメディア研究の流れの中で、主にアメリカを中心にウーマン・リブ運動が提起したマスメディア批判の中からジェンダーの視点によるマスメディアの新たな批判的研究が生み出された経緯、1980年代からのイギリスを中心とするカルチュラル・スタディーズによって、送り手の情報発信のあり方や受け手の属性による情報の受容における差異などについての研究が発展した経緯にも言及がなされ、1995年の北京女性会議の行動綱領の中にメディア問題に対する戦略目標が立てられて以来メディア・リテラシー重視の姿勢が形成されてきた流れについて論じられました。また、日本の新聞記事のジェンダー観や日本語表現に潜むジェンダーについての事例が示され、メディアの現状については、送り手に女性が少なく、変化の兆しはあるものの依然として低い女性管理職割合の例などが挙げられて、あらためてソーシャルメディアの浸透により情報の受け手だけでなく発信者となった現代の人々にとって受け手への配慮や人権意識が不可欠であることが強調されました。

 続いて石井先生からは、これまでの記者としての職業キャリアについての自己紹介を通して、特に出産を契機にそれまでさほど感じなかった女性がメディアで働く上での大きな男性との格差に気づきながらも結局マミートラックを歩まざるを得なくなる経緯や、石井先生が現在担当されている静岡新聞金曜夕刊の新プロジェクト「こち女(こちら女性編集室)」の担当と取材活動を通して知った静岡県での女性労働の実情、特に多くの県内企業における女性活躍のための取組のさまざまな実例の紹介とダイバーシティの実現に向けた課題が語られました。

 最後に、川村、石井両先生から、最近非常に話題となっている財務省事務次官のセクハラ問題、及びそれに対する財務大臣の対応による2次被害発生問題を中心に、マスメディアの女性による取材活動とセクハラの問題が取り上げられ、政治家や警察に対してどうしても避けられない夜の取材で発生しやすいこうした問題について、それでも女性記者がちゃんと声を上げて告発することの大切さや、記者を守る毅然とした上司の存在などを含め、企業・組織としてのメディアのあり方が問われていること、さらには結局管理職に女性が増えることが最も重要であり、より広くは多様性に富んだ職場組織を作っていくことの大切さにも触れられて授業が閉じられました。

 マスメディア、そして労働の現場そのものからの数多くの情報や事例に基づいて、学生にとっても望ましい企業や職場の具体例や女性が積極的に管理職を目指すことの意義など、より具体的・実践的にテーマについて学生が思考を深められるわかりやすい授業を行っていただくことができました。

 次回は、次回は、デートDVファシリテーターで立命館大学非常勤講師の伊田広行先生をお迎えして、「性暴力とジェンダー」について講義していただく予定です。

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受講生の声

食品栄養科学部・1年・女性

 昔の新聞では「女店員」や「女医」などといった女性を強調するような見出しや記事があり、その職業や行動、存在、出来事が女性であることと密接に結びついているように読み手に持たせてしまっていたが、最近はそのような言葉は使われていないように思う。改善した例として看護婦→看護師、保母→保育士、女優→俳優などがある。しかし、まだ完全には変わっていないので、これから一人ひとりがもっと気を付けて言葉を選び、改善していく必要があると思う。

 また他には、「○○さんの妻」などといった男性に従属させられた表現である女性隠しや「家庭科男子」などといった表現の仕方も残っている。このように、まだ男性、女性の固定観念のようなものは数多くある。そのため、殆どの人は、このような言葉や表現が使われていても、あまり気にはとめないだろう。しかし、皆がこのような固定観念を意識し、違和感を持つようにならなければ、この問題は解決しない。そのため、一人ひとりが意識し、まず自分が話す言葉を慎重に選び、そのような言葉や表現を無くしていくことが重要だと思う。

経営情報学部・1年・女性

 今回、マスメディアとジェンダーについての話を聞いて、一番感じたのは今も昔も人は性別という大きなものでくくられて、個人を見てもらえていないということだ。そのこと自体はきっと意識的なことではなく、無意識の偏見が多いと思う。話に出ていた、女性の子育てによる働く時間の制約もそれ自体がいいか悪いかは別として女性の制約が前提になっている。女性なら子育てをして当たり前、仕事ではなく家庭を優先して当然といった考え方が言葉だけでなく社会全体の空気として表れている。おそらく、子育てに専念したい、家のことをやりたい、そう思う女性もいるだろうが、決してそれが女性全員思っていることだとは勘違いしてほしくない。そもそも性別でくくる時点で本当のジェンダー解決までの道のりは遠い。個人が本当にやりたいことができる社会こそジェンダーから解放された社会なのだろう。

看護学部・1年・女性

 日本語には、男女差を強く意識させられる表現が多くある、と学びました。「女医」「女子アナ」とは言うのに、「男医」「男子アナ」とは言わない、と言うお話しは、特に印象に残りました。女性が強調されることで、女性がその分野では珍しい又は特別な存在であるように感じさせていると思います。また、女性活躍をアピールすることは、むしろ男性中心であることをアピールしている、と学びました。どちらも強調されることなく表現されることが理想だと思います。