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自然科学とジェンダー(5月9日、担当:山田久美子)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の4回目の授業が、5月9日(木)5限に行われました。

 今回は、個別領域ごとのジェンダーの問題を扱う各論部分の1つとして、「自然科学とジェンダー」と題して、動物学者で聖隷クリストファー大学非常勤講師の山田久美子先生に、動物学から見た性分化、性指向、ジェンダーの諸問題を論じていただきました。染色体や遺伝子の視点から人間の性の分化のメカニズムが解説され、そのきわめて多様な実態が明らかにされて、人間には男と女だけでなく多様な性分化があり、生物学的に見て人間の性が決して男女に単純に二分されるものではないことが示されました。また動物と人間に共通の性指向と、人間固有の性指向のさまざまなパターンが具体的に提示され、人間固有の性指向が文化や歴史に多大の影響を受けている事実、すなわちそれがジェンダーであることがあらためて強調されました。さらに、フェティシズムなどいくつかの人間特有の性指向がほぼすべて男性のみに現れ、中には犯罪化している性指向もあるという事実から、文化的性指向とジェンダーには深い関係があることが指摘されました。とくに明治以降に日本で国家による異性愛のみを正当化する価値観が強化され、江戸時代以前の日本にあった同性愛や両性愛に許容的な価値観が排除され抑圧されてきた歴史的経緯と、最近の社会・文化の動きの中で、そうした画一的な価値観にもようやく変化の兆しが表れてきたこと、しかし、実態としては日本社会が全体としてそれを受け入れた性の多様性を許容する社会となるにはまだまだ多くの壁を乗り越えなければならないこと、などが論じられました。結果として私たちがこうした画一的な価値観と強化されるジェンダーにどう対抗するか、という重要な課題を考えるきっかけを与えていただく授業となりました。そして、性の世界が私たちの想像以上に多様であることが明らかにされると同時に、それを男女二分法によって無理やり画一的な規範や制度の枠組みの中に押しとどめようとするジェンダーの問題点について、生物学の知見に基づき、多くの興味深い事例を取り上げて大変具体的でわかりやすく講義していただくことができました。

 次回は、「結婚・家族とジェンダー」について、人口問題の視点から本学学長で歴史人口学の第一人者である鬼頭宏先生が講義される予定です。

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受講生の声

国際関係学研究科・研究生・女性

 一般的に、人は生まれる瞬間に、「男」か「女」か、どちらかのマークをつけられます。この理由のために、今まで「この世には男性と女性という2つの性別しかない」と、私は思い込んでいました。そして、今の社会システムの中でも、「男性」と「女性」以外の性別はほとんど無視か差別される側にいます。このような人間の性別を二分する取り扱い方、いわゆるジェンダー・バイナリーは極めて間違ったやり方ではないかと私は思うようになりました。生物学でさえ、人間の性別を二分することはできません。当然、人間の性指向も「異性愛」だけに限ることもできないと思います。

 しかし、人々が「性」に対する先入観があったため、LGBTQの人達はいつも「普通」から排除され、差別されています。例えば、今では左利きの人は普通に思われています。「左利きの人の方が頭いい」という考えの人も沢山いますが、昔は「左利き」はLGBTQと同じように、治療すべき「病気」だと人々に思われていました。有名なコンピュータ科学者であるアラン・チューリングは同性愛傾向があったため、化学的に去勢されました。1954年の6月には毒リンゴを食べ、自殺してしまいました。

 今でも、周囲の人々から常に差別されているLGBTQの人達の自殺率は一般人の25倍もあります。多様な性的指向は動物間でも普通に見られているのに、人間はそれを差別していることに対して、私は不思議に感じています。

国際関係学部・1年・女性

 男女両方の性を持つ、半陰陽の方々についてのお話が特に印象的でした。そのような体を持つ人もいるということは知っていたのですが、今まで詳しい説明は受けたことがなかったので、今日、山田先生がお話ししてくださったことは、初めて知ることばかりでした。今日の授業を経て改めて、性別は男性と女性の2つのみに区切ることはできないのだと感じました。日本が、性別は男性か女性のみにしか分けられないという考えを持っているために、半陰陽の方々、また同性愛者の方々が不安を抱いたり傷ついたりしてしまうのだと思います。

 また、動物の世界にも同性愛や両性愛が存在するということを知り、衝撃を受けました。ペンギンにオス同士のカップルがいたり、鶴や鴨にはメス同士のカップルもいるそうです。それならなおさらに、人間の同性愛者を否定するのはおかしいと思いました。動物にあることなら、人間にあってもおかしくないと思います。

 そして、犬塚先生が最後におっしゃっていた、「生産性がない」発言のニュースに対しても、深く考えさせられました。山田先生は、「明治時代から子供を増やすために同性愛者が禁じられるようになった」とおっしゃっていました。しかし私は、人間は子供を産むためだけの道具ではないと思います。人それぞれ違った性的指向があり、それらは全て認められるべきだと考えています。

 そして今回のお話で、性同一性障害という言葉についても深く考えました。私は、"障害"という言葉が付いている時点でおかしいと思います。山田先生が、人間には多様な性分化があるとおっしゃっていたように、私は同性愛も両性愛も、障害ではなく1つの個性であると思っています。以前、東京へ行った際にスクランブル交差点でLGBTの方々が手を繋いで行進しているところを見かけました。LGBTの方だけでなく、彼らを応援する人々もその後ろに付いて歩き、長い列ができていました。いつしか日本が、彼らのような思いを持つ人で溢れる国になるといいなと思います。

国際関係学部・1年・女性

 現代の日本社会は、性的マイノリティに優しくないと感じます。その方々はそれだけでも生きづらいだろうと思いますが、この講義で性分化異常というものを知って当事者たちの生きづらさを想像し、心苦しく思いました。自分の意思では違う性でいたいのに、性分化異常の方は生殖器の除去が禁止されているのは、差別だと感じます。私は、現代社会において性別をそこまで重要視する必要はないと考えます。その人が生きたいように生きるのが一番だと思うからです。もしも性分化異常の方が生殖器を除去したいのなら、できる環境があるべきです。相手の性別を重要視しすぎるのは、相手のことを「知る過程」をなるべく省きたいからなのでは、と思ってしまいます。相手を「性別」という要素ありきで見るのではなく、「人」として見るべきだと思いました。

国際関係学部・1年・女性

 性的マイノリティがこころの性に存在していることは知っていたが、生物学的なマイノリティとして、男性でも女性でもない性分化異常という分類があることを初めて知り、驚いた。そうすると、性分化異常の人々にとっては、「同性」や「異性」という概念すら怪しいものであり、「性」というものがこれまで考えていた以上にもっと多様で複雑なものであると感じた。

 また、同性愛、両性愛、アセクシュアルという性指向は人間特有のものであると思っていたが、一部の動物と共通していたり、魚類の中には性指向がなく生殖をしない種もあるということにも驚いた。このことから、動物の世界にも、人間と同様に多様な性のかたちがあると考えられる。

 さらに、今回の講義で最も印象的だったのが、江戸時代までは日本でも同性愛や両性愛が認められていたこと、そしてそれを明治政府が、人口を増やして富国強兵を目指すために弾圧したこと、である。急速な近代化を果たそうとした結果、今日の日本の凝り固まった性に対する考え方が生み出され、現代では皮肉にもそれこそが時代遅れだといわれている。しかし前向きにとらえれば、環太平洋の島々は同性愛に寛容であって日本もそのうちの一つであるし、江戸時代以前は様々な性指向が受け入れられていたので、今からでもあの古い風潮は取り払えるだろうと考える。もちろん今すぐにというわけにはいかないが、徐々にでもそうなっていってほしい。そして、あらゆる面で性的マイノリティの立場にいる人々が生きやすい世の中になることを心から願い、自分もその世の中を構成する一員になりたいと思う。

国際関係学部・3年・男性

 近年、特にこの数年、LGBT(Q)の人々の人権保護を求める声が大きくなってきたとはいえ、多くの人々が社会において当然のように受け入れてきた、そして地域差はあれど今も根強いと考えられる「男」と「女」という性による人間の二分論的な価値観が、動物界ではむしろ珍しいものであり、そもそも生物学的に見て「オス」と「メス」に完全に分けられる生物というのはおそらく存在しない、そのように分けることはほとんど不可能であって、今日支配的な人々の性意識や性嗜好などは時代や社会により意図的に作られたものである場合が多いことを知り、驚いた。

 そして、私たちが当たり前と考えて疑いすらしない考えも、実は私たちの暮らす社会において作り上げられたものでしかない可能性があることを改めて実感し、自分が無意識に、半ば自明として受け入れてしまっているのかもしれない考えを疑い、より良い社会を作るためにはどうしたら良いかということを、出来るだけ既存の価値観や偏見に囚われないで考え、追求していくことが、出来るだけ多くの人が幸せに暮らせる社会を作るために重要なことだと思った。