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教育とジェンダー(5月23日、担当:奥山和弘)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の6回目の授業が、5月23日(木)5限に行われました。

 今回は、「教育とジェンダー」に関して「体験事例を中心に」を副題に、元静岡県立吉原高等学校校長で、著作や講演を通じて全国で男女共同参画社会に向けた啓発活動を続けておられる奥山和弘先生をお招きして講義をしていただき、ご自身の経験や、学校教育、メディア報道など豊富な資料に基づくさまざまな場面での数多くの実例に即しながら、具体的に教育とジェンダーに関わる課題を多角的に考察する時間を作っていただくことができました。

 はじめに、社会のさまざまな分野の中できわめて平等観が高い(7割近く)教育分野について、はたしてそれが実態だろうかという問いかけがなされた後、上野千鶴子氏の東京大学入学式祝辞や医学部入試における女子差別についての順天堂大学のコメントなどに示されている性差別の実態を踏まえて、現代社会に蔓延している「性別特性論」の誤りが明快に指摘されました。そして、平均値やイメージから来る「男性(女性)にしかできない」という思い込みを「女性(男性)でもできる」に変えていく「「しか」から「でも」への意識改革」の重要性が論じられ、学校教育でジェンダーを問題とする理由として①こどもの職業(生き方)選択の幅を不当に狭くさせないため、と②子どもの「自己肯定観」を育むため、という2点が示されました。

 さらに学校教育の現場で実際に存在してきた「かくれたカリキュラム」について、たとえば富山市での男女生徒でパンの厚さが違っていた給食制度、静岡県内で実際に使われていた男性と職業を過剰に結びつけている社会科教材、国語教科書に掲載される女性の作品の少なさや文学作品の偏ったジェンダー観、パンフレット、チラシ、掲示ポスターにおけるアイキャッチャーとしての女性の扱い方の特徴、男女別名簿の問題点、特に管理職教員において顕著な男女性比の偏りなど、豊富な事例によってその問題点がわかりやすく分析され、学校におけるさまざまな慣行・制度が実際にはかくれたカリキュラムとして「適材適所」を阻害している実態が明らかにされました。そして最後に1990年代から2000年代にかけて、教育の世界に深刻な問題を生みだした「ジェンダー・フリー・バッシング」の経緯が当時のマスコミ報道などの事例をもとに詳細に語られ、ご自身が受けたバッシングを例に、それがいかに不正確な情報と性別特性論的な偏った価値観から不当になされたものであったかがはっきりと示されました。そうした反動的な動きにも関わらず、教育現場においては、今日少しずつ着実に男女共同参画への変化が進んできている実態にも最後に触れられて、今後の教育とジェンダーのあり方がどうあるべきかを私たち一人一人が考え続けていくことの大切さが伝わる授業の結びとなりました。

 大変多くの資料、事例を駆使した、わかりやすく、説得力に富む講義を通して、教育とジェンダーに関わる問題の根深さや多様さを浮き彫りにしていただくことができました。

 次回は、元常葉大学教授の居城舜子先生より「労働とジェンダー」の講義が行われる予定です。

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受講生の声

国際関係学研究科・研究生・女性

 「学校はもっとも性差別のないところだ」と、多くの人が思っていると私は考えています。実際にジェンダーについての知識を学ぶ前は、私もそう思っていました。しかし、思い出してみると、学校では生徒が整列する時にはいつも男女別で並ぶ、また、チアリーディング部には女子部員しか所属してはいけない、その他にもさまざまな例が目の前に浮かんできました。私が通学していた中国の高校では、新入生が男女別で参加する講義「男子大会」「女子大会」が毎年開かれていました。しかし、「どうして男子大会に女子生徒が(女子大会に男子生徒が)参加することができないのだろうか」というような疑問を言い出す人はいませんでした。そもそも男性と女性は、本当にそこまで異なるでしょうか? 心理学者であるHyde教授の研究成果によると、成長に伴って男性と女性は心理的には同様に成熟するので、男女間の「相似性」は「差異性」より大きくなる、という「性別相似性仮説」を発表しました。つまり本当は、性差別は男女のジェンダー・ギャップから受けた影響は小さいです。性別という「差異性」を左右するのは、実は性別キャラクターと社会背景という要因です。家庭における啓蒙教育と学校教育を改善することにまず着手すれば、ジェンダー・ギャップは更に早く解消できるではないかと私は思っています。

国際関係学部・1年・女性

 今日のお話を聞き、私の気付かない所でも、男女差別と見られるようなことがたくさんあったのだと思いました。また、先生のお言葉の中で、"男性(女性)にしかできないと思われていることでも、できる女性(男性)はいる"というお言葉にとても共感しました。スライドに出てきた、男性の特性のイメージを表すグラフに"機械操作が得意"と"暴力的である"という項目がありました。私は、それらの特性を男性のものだと言い切ってしまうのはあまり好ましくないと思います。機械操作に関しては、なんの根拠があってそのようなイメージを持っているのだろうと疑問に思いました。私の高校時代の情報処理(コンピュータの使い方を学ぶ授業)の先生は女性でした。そのため、男性でなくても、女性でも機械操作が得意な人はたくさんいると思います。また、暴力的であるということに関しても、一概に男性の特性であるとは言うべきでないと思います。最近、ニュースで、幼稚園児に暴力を振るい問題となっている女性の保育士を多く見ます。女性であっても、子供に暴力を振るってニュースで報道される人がいるのですから、男性だけが暴力的だという風には言えないと思います。また、先生は、「1つの枠組みで育ってしまうと、それが問題だということに気が付かない」とおっしゃっていました。実際に、私にも、今日のお話を聞くまでは気付くことのなかった"隠れたカリキュラム"がたくさんありました。辞書の説明にまで隠れたカリキュラムがあったことにも驚きました。今日からは、隠れたカリキュラムにも敏感に反応できるよう、意識して日々を生活していきたいと思いました。

国際関係学部・3年・男性

 日本では男女それぞれの性別の持つ「とされる」「特性」があり、その特性に基づいてそれぞれの役割を分担すべきだという考えが今でも力を持っていることを改めて確認し、欧米諸国に比べ「ジェンダーフリー」(男女の性差に囚われない(違いがないという意味ではない)考え方)が人々の間で広く共有されていないこと、また「ジェンダーフリー」について、「中性人間」を作ることを目指す非現実的で奇妙な考え方で危険だ、という誤解に基づく批判が上がる(批判側には大学教授もいた)など、「ジェンダーフリー」への理解がまだ深まっていない(そもそも知らない人も多いと思われる)ことは、日本や日本の人々にとって損失が少なくないと思った。(人々が「性別」に縛られ、「個性」を遺憾なく発揮して社会で活躍する機会を少なくしてしまう可能性がある点で。)また、私は今回のお話を聴いて、「ジェンダーフリー」そのものについて、またその必要性について理解が深まり、大変貴重な機会となったため、もっと多くの人がこのお話を聴くことが大切だと思った。

国際関係学部・1年・女性

 「かくれたカリキュラム」という話題が特に印象的だった。かつて富山県の学校給食では男女で食パンの厚さが違っており、現地の人たちはそれを当たり前だと思っていたという。はたから見ればそれが当たり前でないことは明らかであるが、そのような環境に身を置くと感覚が麻痺してしまうことが分かった。このように、ジェンダーに縛られるような考え方を知らず知らずのうちに植え付けられてしまうことは、とても恐ろしいことだと思う。

 生徒名簿に関する話も興味深かった。私は静岡県外の出身で、高校の時の名簿は男女別だった。入学当初にそれを知って少し違和感を覚えはしたが、その後卒業するまでは特に気に留めることもなかった。しかし、私も富山の人たちと同様に、男女別名簿が普通のことではないとは思っていなかったので、奥山先生が静岡県の学校はすべて男女共通の名簿を使用していると仰っていて驚いた。自分自身も「かくれたカリキュラム」の中で教育を受けていたことに気付き、ショックを覚えた。

 また、ジェンダー・フリーの本来の意味を誤解し、男女共同参画の動きに対して否定的な印象を植え付けようとする印象操作が行われていることを初めて知り、これにも驚いた。根拠のないエピソードを取り上げてまで、一部のマスコミは何をしたいのかと疑問に思うが、それを額面通りに受け取ってしまう私たち視聴者にも問題があると考えている。なので、このような操作に踊らされてしまわないように、正しい知識を持っていきたい。

 これからの日本の社会を担っていくのは若者や子どもたちであるし、そのための準備をする場が学校だと考えているので、この講義を受けて改めて、教育の重要性を感じた。男や女というくくりのせいで、あらゆる選択肢が狭められることがなくなってほしいと思う。