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マスメディアとジェンダー(6月6日、担当:川村美智、石井祐子)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の8回目の授業が、6月6日(木)5限に行われました。

 今回は、「マスメディアとジェンダー」と題して、NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか副代表理事で元静岡新聞社編集局文化生活部専任部長の川村美智先生と、静岡新聞社経済部記者の石井祐子先生をお招きして、新聞とテレビをはじめとするマスメディアからソーシャルメディアを含むメディア全般に関して、ジェンダーの視点からさまざまな問題を論じていただくことができました。

 はじめに、静岡新聞とSBSテレビの事業内容の紹介DVDが上映され、新聞、テレビ、ラジオといったマスメディアの世界とはどういうものか、またそこでは、どのように記事が作られているのか、といった点について具体的に概観することができました。続いて、近年話題になった2つの紙おむつメーカーの対照的なCMが上映され、そこに描かれたジェンダーイメージの違いから何が見えて来るか、また男性向け、女性向け、性別を問わないという3種のコミック誌の表紙の色使いの違いなどからどのようなジェンダーイメージが読み解けるかといった事例が紹介され、メディアが伝える情報は構成されたものであり、送り手の価値観や偏見が反映し受け手に刷りこまれやすく、アンコンシャス・バイアスも生じやすいことなどが注意されて、メディアを批判的に見ることの大切さが強調されました。そして、1960年代以降のマスメディア研究の流れの中で、主にアメリカを中心にウーマン・リブ運動が提起したマスメディア批判の中からジェンダーの視点によるマスメディアの新たな批判的研究が生み出された経緯、1980年代からのイギリスを中心とするカルチュラル・スタディーズによって、送り手の情報発信のあり方や受け手の属性による情報の受容における差異などについての研究が発展した経緯にも言及がなされ、1995年の北京女性会議の行動綱領の中にメディア問題に対する戦略目標が立てられて以来メディア・リテラシー重視の姿勢が形成されてきた流れについて論じられました。また、日本の新聞記事のジェンダー観や日本語表現に潜むジェンダーについての事例が示され、メディアの現状については、送り手に女性が少なく、変化の兆しはあるものの依然として低い女性管理職割合の例や、メディアにおけるスポーツウーマン表象ルールの変化の例などが挙げられて、あらためてソーシャルメディアの浸透により情報の受け手だけでなく発信者となった現代の人々にとって受け手への配慮や人権意識が不可欠であることが強調されました。 

 続いて石井先生からは、これまでの記者としての職業キャリアについての自己紹介を通して、新聞記者の1日の労働実態の諸事例から、とくに女性が継続的に働くことの難しさが示され、とくに出産を契機にそれまでさほど感じなかった女性がメディアで働く上での大きな男性との格差に気づきながらも結局マミートラックを歩まざるを得なくなる経緯や、女性記者の比率の低さと圧倒的な男性社会としての新聞社の現状、その中でも子育て仕事を両立する女性記者の急増を受け、新たに立ち上げられた静岡新聞金曜夕刊の女性記者のみによる新プロジェクト「こち女(こちら女性編集室)」の担当経験と、「こち女」以前と以後で変わってきた働き方の特徴などが論じられました。さらに取材活動などを通して知った静岡県での女性労働の実情、とくに多くの県内企業における女性活躍のための取組のさまざまな実例の紹介と、女性活躍からの変化として男性も含めた長時間労働前提の働き方の改革の重要性が語られました。

 最後に、川村、石井両先生から、人生100年時代を前提に、自分のキャリアをどう作っていくか、男女問わずまずそこにしっかりした基盤を置いて多様なライフコースをめざしていくことの大切さに触れられて授業が閉じられました。

 マスメディア、そして労働の現場そのものからの数多くの情報や事例に基づいて、学生にとっても望ましい企業や職場の具体例や女性が積極的に管理職を目指すことの意義など、より具体的・実践的にテーマについて学生が思考を深められるわかりやすい授業を行っていただくことができました。

 次回は、NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか代表理事の松下光恵先生により「市民活動とジェンダー」の講義が行われる予定です。

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受講生の声

国際関係学部・1年・女性

 今回の授業では共感できる内容が多くありました。授業内で2つの会社のCMが比較して流されましたが、映像と音楽で視聴者の心を惹き付けるエンターテインメントは私たちの価値観に大きな影響を与えます。私は子供の頃からずっとクラスの男の子と比べても身長は高い方でした。若者向けのドラマやCMなどではヒロインの女の子はどれも背が低くて華奢だったので「私は女らしく無いんだ」と常にコンプレックスを感じていました。でも、段々「男らしさ」や「女らしさ」は誰かがつくったものだと思うようになりました。本来多様であるはずのものをステレオタイプ化してしまっていないか一度見つめ直す必要があると思います。

国際関係学部・1年・女性

 新聞記事の見出しで「女店員」や「女医」のように女性であることを強調した表現が使われると、その職業や出来事が性別と密接に結びついているような印象を読み手に与えてしまうことがあると分かった。私自身も新聞やネット上のニュースを読む時、見出しだけは見ても本文を読まないことがよくある。見出しから興味を惹かれて本文を読むこともあるが、多くの場合、見出しだけでそのニュースを分かったような気になってしまう。見出しは記事の内容を端的に表すものではあるが、それだけで記事の全容がわかるわけではないし、記事を読む側はそのことをあまり意識していないと思うので、情報を構成して発信するメディアの責任はやはり大きなものだと感じた。

国際関係学部・1年・女性

 今日のお話を聞き、情報を見極めることはとても重要なことなのだと改めて思いました。川村先生は、「メディアが伝える情報は構成されたものである」とおっしゃっていました。その言葉により、情報を入手する側は、情報の作り手の意図を考えて、それが本当に正しいものなのかを判断しなければならないのだと感じました。

 今日のお話の中で、"メディアを介しての、性別によるイメージや役割の固定化"についてのお話もとても印象的でした。男の子は黒、女の子はピンク。というイメージなど、わたしも無意識のうちに、固定観念に支配されていたことに気付きました。しかし、それは単なるステレオタイプであり、固定化されてしまったイメージに過ぎないのだということにも気付きました。メディアなどを通して、私達は、"男性はこうだ、女性はこうだ"と、固定観念にとらわれてしまいがちですが、それでは、自分らしい生き方ができなくなり、窮屈な人生を送ることになってしまいます。そのため、これからは、"女性だから…男性だから…"という考え方はしないように心がけ、多様性に目を向けるようにしたいです。また、いただいたプリントの中に、「受け取る時も発進する時も、人権を尊重する意識がカギとなる」という言葉がありました。私は、この言葉を見た時に、「自分が情報を発信している際に、相手を差別するような発言をしていないだろうか」と怖くなりました。自分にそんなつもりはなく、無意識にした発言でも、相手にとっては差別であると感じることもあると思います。そのようなことをなくすためにも、情報を発信する際には、自分は情報発信者なのだということを念頭に置き、これからの発言には十分に注意したいと思います。