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マイノリティとジェンダー(7月11日、担当:藤巻光浩)

 全学共通科目「男女共同参画社会とジェンダー」の13回目の授業が、7月11日(木)5限に行われました。

 今回は、「マイノリティとジェンダー」と題して、フェリス女学院大学文学部教授の藤巻光浩先生に講義を行っていただきました。

 最初に先生からは、あらかじめ今日の講義の結論として「マイノリティ」とは「本質的概念」ではなく、あくまでも「関係性概念」、つまり偶有性・流動性を持つ概念であり、条件を変化させれば関係は変化しうること、「偶有性に開かれていること」の大切さが強調されました。そして、その偶有性が担保されないときにマイノリティの本質的・存在論的概念が始まってしまうことにしっかり目を向け、そのことを分析する視角として、ジェンダーという問題意識から、「慰安婦」問題を取り上げて論じることが今日の主題になると述べられました。

 続いて、2015年末の日韓外相会談でこの問題の「最終的かつ不可逆的解決」をめざした合意がなされた出来事が取り上げられ、これに対して被害者(当事者)と支援団体からは強い不満の声が上がったこと、そこには、当事者の声を無視して国家間で政治的解決が図られたことの問題性、そして、彼女たちの求める「歴史的な名誉の回復」の意義をどうとらえるべきか、という問題提起がなされました。

 その後、先生ご自身が直接聴き取りをされた台湾出身の「慰安婦」とされた女性たちの証言が詳しく紹介され、彼女たちのきわめて過酷な人生の経験が、生々しく明らかにされていきました。

 そこであらためて「慰安婦」という言葉が作り出すイメージが、結局自分の意思による商行為者としての「売春婦」というイメージにつながるものであることが論じられ、国連での報告で用いられている「レイプ・センター」における「性奴隷」といった表現がついに日本社会に浸透してこなかった背景に存在している「加害者側」の視点こそが問題であることが厳しく指摘されました。そして日本における「慰安婦」問題がこのように「売春婦」言説に陥ることで、彼女たちが国家による組織的なレイプ被害者としての地位を確保することが著しく困難になり、結果として「マイノリティ」としてのポジションに本質的に置かれてしまう「記憶の暴力」のメカニズムが明確に解明されました。その上で私たちに課された課題として、彼女たちの「私たちは「慰安婦」ではない」という声を真摯に受け止め、彼女たちを正しく「性奴隷」「レイプ被害者」として位置づけることで、この問題を現代の私たち自身の問題とすることができること、さらに「加害者」の存在も確定させ、彼女たちの歴史的な「名誉の回復」という正義を実現する可能性が開かれることの意義が示されました。そして最後に、彼女たちが「汚れている」のではなく、彼女たちを「汚れた女」として位置づける社会構造(ミソジニー)にこそ問題の根源があることがあらためて示唆されて授業全体が結ばれました。

 先生ご自身が直接長年にわたって聴き取り調査を重ねてこられた当事者女性たち自身の声を通し、そこから私たちが何をくみ取るべきか、深く考えさせられる授業となりました。

 次回は、「一五一会」演奏家で、性的マイノリティ当事者である会津里花さんをお招きして、「マイノリティとジェンダー~特別講義とミニ・コンサート」が行われる予定です。IMG_0344r.jpgIMG_0357r.jpg

受講生の声

国際関係学部・1年・女性

 今回聞いた元「慰安婦」の体験談は私にとっては想像を絶するものでした。以前の講演会で元「慰安婦」の女性が学生を前にして「こんな話を聞かせてしまってごめんなさいね」と涙を流しながら話した、と聞き、自分よりも若い年齢の少女達があまりにも過酷で卑劣に扱われる経験をしたこと、そして今でも傷が消えることは無いことが伝わってきました。性被害にあった人はそのことを決して簡単には口にできないはずなのに、「70年も前のことを今更言うな」と一蹴することはできないと思います。国としての視点で語るのではなく、性被害にあった女性の人権問題としての観点から考えなくてはならないと思いました。

国際関係学部・1年・女性

 「慰安婦」が加害者側の表現であり、慰安婦問題は1つの視点からしか語られていないことに気づかされました。複数の視点から見ることは大切なことであり、国家間、政府間ですべてを解決しようとすること自体に問題があると改めて思いました。被害者の名誉回復とは一体何なのか今まで疑問に思っていましたが、これは被害者をマイノリティとして扱わず、一人でも多くの人が被害者の声に耳を傾けることが大切だということを知りました。最も衝撃的だったのは、被害者を汚いもの扱いし、誰も寄り添うことをせず、被害者は孤独状態にあったということです。慰安婦問題は、過去のレイプ問題ともいうことができ、「過去のレイプ問題を解決できないのに今のレイプ問題が解決できると思ってはならない」という言葉が印象に乗りました。